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SALOMON 直営店
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サロモンストア 東京 渋谷
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TEL:0267-41-2256
営業時間:10:00 ~ 20:00 *季節により変更あり
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アクシデントを乗り越え 24年ぶりの本気のレース
「国体は4度目のオリンピックだった!」
岡部哲也がレースに戻ってきた。前走や撮影のための模範滑走ではなく、本気で、ガチで、スタート台に立った。24年前、現役最後のレースとなったワールドカップ富良野大会のスラロームで、仲間たちの手荒い祝福を受けながらレースの世界から去っていったあの岡部哲也が、四半世紀の時を隔ててレースに復帰。今年2月に行なわれたくしろさっぽろ国体に出場したのだ。
きっかけは、昨年秋の吉岡大輔からのこんな誘いだった。「岡部さん、国体に出ませんか?」吉岡にとって、岡部は偉大な先輩だった。年齢は15歳も違い、北照高校でも、全日本ナショナルチームでも、ふたりの選手生活が重なることはなかったが、吉岡はいつも岡部の背中を追ってきた。「一度、岡部さんと一緒の大会で滑ってみたかったんですよ」そんな言葉が背中を押し、岡部は決意した。その少し前には北海道胆振東部地震が起き、故郷の小樽でも被害が出た。さらに遡れば昨春、彼のスキーの教え子でもある小学生が、スキー中の事故で亡くなっている。身近に起きたふたつの不幸。

自分にも何かできることはないかと模索していた彼にとって、国体出場というのは、それにふさわしいように思えた。
50歳を超えた自分が、全力で立ち向かう姿を示すことで、何かの役に立つことはないだろうか? そんな思いが、岡部の気持ちを国体出場という目標に向けさせた。
「簡単なことではないと思っていました。予選だってあるし、普段使うことのないR30のGSスキーをはかなければならない。しかもドーピング検査があるので、風邪をひいても薬を飲めない。体調管理もしっかりしなければならないわけです」
オリンピックに3度出場し、ワールドカップでは2度も表彰台に立った。国体はもとより、国内大会での優勝など数知れず経験している。だが、そんな実績はもう過去のものだ。戦う以上、めざすのは優勝のみ。厳しい道を覚悟のうえで、岡部は挑戦をスタートした。

覚悟のうえだったが、実際の道のりは、想像を遥かに上回る厳しさだった。忙しい毎日をやりくりしての練習。1本1本を大切に滑り、少しずつ調子を上げていった。だが、一瞬のエアポケットだったのか、年末、撮影中にクラッシュし、右足ふくらはぎの筋断裂という負傷。行く手には暗雲が垂れこめたが、もちろんこれで諦めるわけには行かなかった。東京都の国体予選を1位で通過。この日は最後から4番目のスタート順だったが、不安要素をすべて吹き飛ばす快走だった。これで本大会ではかなり良い条件で滑れることになった。
試練は続いた。2月、岡部はさらにひどい怪我を負った。実戦的な練習のため、前走をかってでた学生大会でふたたびクラッシュ。今度は第三腰椎横突起骨折という重傷で、全治2ヶ月という診断だった。周囲はこれで終わったと思い、彼自身もさすがにこれはまずいと覚悟したという。
10日後、彼の姿はサッポロテイネスキー場の大回転コースにあった。懇意の医師やトレーナーが手を尽くし、辛うじて滑れる状態にまで快復させてくれたのだ。本来ならば止めるべき役割の彼らが「岡部さんなら、止めても無駄だろう」と、全力で支えてくれた。
実際には歩くのも不自由な状態だったが、選手村に松葉杖をついて入るわけにはいかない、と羽田空港で降りた車の中に、あえて2本の杖を置いてきたという。スタート順は、20番目。まだコースはそれほど荒れていなかったが、そのかわり中盤過ぎの急斜面はとても硬かった。腰の骨を負っている人間が滑る場所ではなかった。ターンのたびに身体は悲鳴を上げたが、それでもこらえ、ゴールへと滑り込んだ。

ゴール後はたくさんのファン・友人、そしてメディアに囲まれたそのひとりひとりに丁寧に対応し、気がつけば1時間もその場にいた。トップからは大差をつけられ完走 115人中33位。数字としては、もちろん納得できないが、できることはすべてやりきったので後悔はなかった。唯一優勝者におめでとうを言えなかったのが悔やまれるという。
「思いは伝わったかな?」彼は自問するように、言った。率直に言えば、コースサイドで彼がどんな滑りするのだろうと注目していたファンは、意外に思ったことだろう。「やはり年齢は隠せないんだな」多くの人は、10日前の怪我のことなど知らなかったからだ。
でも、家に帰って新聞を読み、あるいはテレビのニュースでそうと知り、彼らは、びっくりしたに違いない。「やっぱ岡部哲也やばいわ!」
2019年の冬。伝説のスラローマー岡部哲也に、こうしてまたひとつ素敵な物語が付け加えられたのである。

岡部 哲也 – おかべ てつや –
1965年5月15日、小樽市生まれ。小学校3年生で競技スキーを始め中学校3年でナショナルチームジュニアに選抜。1987年3月サラエボのスラローム最終戦で4位入賞。これをきっかけに、日本人として2人目のワールドカップ第1シード入りを果たし、2位1回3位1回と2度にわたってワールドカップの表彰台に立った。95年春に引退。現在は軽井沢で岡部哲也スキースクール等を営む。